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新築 リフォーム 耐震設計 施工例 お問い合わせ 会社概要 京都の住まい

「千年の都」と呼ばれ日本人の憧れである京都は、西暦794年に平城京から遷都される遥か以前から多くの人が住み着いていました。
その歴史は縄文時代にまで遡るのですが、それほどまでに住みやすい環境が今でも守られております。
一般には盆地特有の「夏は暑く、冬は寒い」と言われ、住みにくいように思われますが、その事が四季の変化を際立たせ京都独特の美の原点になっています。
確かに、夏の暑さは半端では無いのですが、それとて7月下旬から9月の上旬まで、冬の寒さも12月中旬から3月初旬までで降雪も少なく道路が凍結することも稀です。
このような京都独特の気候に適合するかたちで作られ、今なお多くの人々が住まいとしている建物が「京町家」と呼ばれる木造住宅です。
京都は単なる盆地の地形だけでなく、その地下には琵琶湖の水量に匹敵するだけの豊富な地下水を抱えている上に、日本海に至る山間地(京都北山)の標高が低く、そのために冬季でも湿度が高いために絹織物産業や漆工芸に適した気候です。
このような年中湿度が高い独特の気候風土に最も適合したものが木造建築物で、湿度の低い欧米の建築物とは根本的に発想が異なります。
ところが、こういう歴史的な背景を知らない役人による建築基準法の制定により、一部の僅かな例外を除いては、昭和10年以降新たな「京町家」の建築は行なわれておりません。
現在、京都に数多く残されている「京町家」はすべてそれ以前に建てられたもので、多くが築100年を越えるものです。これほど古い木造家屋が大量に、しかも現在でも住宅として使われているところは世界でも類を見ません。

京町家の構造
日本中の旧街道筋に今でも残る宿場町の建物の多くは「京町家」を手本として建てられたものですが、「京町家」の大きな特色は礎石の上に置かれているだけという特殊な構造にあります。
その起源は、1596年の慶長伏見大地震(M7.5)で多くの建物が倒壊し、その後建てられた建築物は地面の振動を建物に伝えない構造になりました。
昨今言われている「免震構造」というのは、実は500年も前に完成していた証が「京町家」や社寺建築物です。

京町家の基本的な構造は、「木造伝統軸組構法」と呼ばれていますが、これは建築の基本を知らない者が名付けた名称で、決して「伝統工芸」の延長線上にあるものではありません。
その大きな特徴は、太い柱が建物全体を支えるのではなく、数多くの細い柱に荷重を分散させていることです。
現在の木造建築(木造在来軸組構法)では当たり前の「筋交い」は一本もなく、この事から「耐震性の低い建築物」と誤解されて来ました。
しかし、慶長伏見大地震での教訓から得た当時の職人の結論は、地震に対抗するのではなく、「地震を免れる構造」という理論で、昨今高層ビルなどに採用されている「免震構造」そのものだったのです。
明治維新以降、欧米の建築工法をそのまま真似をしてしまったために、それまでに積み上げられていた日本の環境に適した建築工法が忘れられてしまい、その結果、阪神淡路大震災での大規模な家屋の倒壊をまねいてしまいました。

形状
京町家の形はその用途が大きく関与しています。
基本的に京都市内の街は商工業を生業とする人達のための建物なので、表通りに面した建物は店舗用、路地の奥は職人達のための職・住兼用建物です。
形状は、大きく分けて2種類あり、低い二階に虫籠(むしこ)窓をもつ江戸時代から継承されてきた「厨子二階型」と、2階の軒が高い「総2階型」があります。
現在残っている京町家の多くは後者の「総二階型」ですが、これは明治時代後半から大正時代に建てられたもので、元々は「厨子二階型」が大半でしたが老朽化などによる建替えで大幅に減少し比率が逆転したものです。
そのほかの形としては「平屋型」「三階型」「仕舞屋型」「大塀(だいべい)造型」などがありますが、現存しているものは僅かです。

間取り
京町家は入り口の扉を開けると土間が一直線に裏庭までつながっていて、これを「トオリニワ」と呼びます。この土間の中央付近にカマドと流しがあり、その上は二階天井まで吹き抜けになっていて、ここを「火袋」と呼びます。
部屋は入り口横(オモテ)・中央(ダイドコ)・奥(オク)というように部屋が一直線に並んでいるのが特徴です。
裏には小さな箱庭があり、便所・風呂場・物置・土蔵などがあります。
中央の部屋の押入れのような引き戸の中に二階に上がる階段が有り、二階も一直線に三部屋と玄関土間の真上にあたる場所に木置き(キアゲ)と呼ぶ小部屋が有ります。

基礎
京町家の大きな特徴は基礎の構造にあります。
現在の多くの建物は「布基礎」と呼ばれる鉄筋コンクリートの人工地盤の上に建てられますが、京町家は一本一本の柱が独立した基礎を持ちます。
具体的には、栗石を置いて地固めを行い、その上に「ひとつ石」を置きその上に柱を建てます。
この「ひとつ石」には柱を固定する細工は一切行わず、柱を乗せるだけなのが大きな特徴です。
これは、「地盤は動くもの」という前提で考えられたものだからです。
地下水位の変動によって地盤が微妙に変化しますので、独立基礎にすることで常に調整ができる構造になっています。
また、地震のときには柱が基礎から浮き上がり、振動を建物に伝えないという大きなメリットがあります。

軸組・小屋組
○軸組・小屋組
京町家で使用する木材は京都周辺で産出する杉や松がほとんどで、いわゆる高級木材というものは使いません。
しかも、建物全体を支えるような太い柱は無く、細い柱を数多く立てて荷重を分散させているのが特徴です。
京都は内陸の盆地のため建物が強風にさらされる心配がないことから、建物全体の重量が軽くなるように考えられています。
また、独立した戸建てがほとんど無く、軒を接して建てられているために長屋のように見えますが、実際は基礎も含めて独立しています。
このような建て方になったのは防犯上の理由が大きいと考えられます。
「京町家」独特の構造としては「登り梁」という屋根の傾斜に近い丸太の梁が屋根の重量を受ける構造になっていることです。

このように「京町家」という建築物は京都の気候風土や経済情勢、治安状況などを充分考えて作られたもので、決して建築技術が未熟であったからでは有りません。
むしろ、現在主流になっている「在来工法」や「2X4工法」に比べて遥かに進んだ工法だと言えます。
このような建築物が単に古いというだけで壊されて行くのは大きな問題だと言えます。



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